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5/22(土)

有山じゅんじ

バンバンバザール

【公演中止】師匠やっぱり散歩にしときましょうツアー 2021

 

当公演、5月22日(土)有山じゅんじバンバンバザール「師匠やっぱり散歩にしときましょうツアー 2021 福岡公演」は中止することにいたしました。

5月12日から5月31日まで緊急事態宣言が福岡県にも発出され、自治体の方針を踏まえての決定です。
なんとも残念であります。楽しみにしてくださっていた皆様もごめんなさい。また7月頃で開催が叶うよう調整しておりますので、どうぞ続報をお待ちいただけると幸いでございます。

会場席配信席ともにご予約の皆様には個別で払い戻しのご案内をメールで差し上げます。ご確認くださいませ。

またきっと必ず会場でお会いいたしましょう。その日までどなたさまもお元気でご安全に。我々も元気に踏ん張ります。手洗い除菌して一同でお待ちしております。

リブラボ
 

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師匠ツアー復活でリブラボでワンマン。配信もございます。コージー大内も初参加!全国の皆様にはぜひ見ていただきたいです。当日会場の客席は40名までとなっております。

コロナ感染対策万全で楽しみましょう!

 


出演:

有山じゅんじ
バンバンバザール
●福島康之 Vo,Gt●黒川修 Ba
松井朝敬 Gt,Steel Gt,Ukulele

ゲスト:

コージー大内

 

 

2021年5月22日(土)
開場17:00/開演17:30
前売4,000円/当日4,500円
(ドリンク別)
 

※配信あり
配信チケット2,000円

有山じゅんじ
1953年、大阪生まれ
1960年代に多感な10代をすごし、12才からギターを持ち始める。1968年「五つの赤い風船」に参加。
1973年「上田正樹とサウス・トゥ・サウス」を結成。
1975年日本のロック史に残る正真正銘の傑作『ぼちぼちいこか』『この熱い魂を伝えたいんや』を発表、一躍全国にその名をとどろかす。
1976年のバンド解散以降ワンアンドオンリーなフィンガーピッキングと歌声を武器に、アコースティック・ギターの弾き語りを中心としたソロ活動を開始。
音楽のジャンルにとらわれずにいろんなセッションを続け、ありやま♪ミュージックをめざして今日も<グルグル>進化しつづけている。

バンバンバザール

1990年結成。ストリートの演奏がきっかけでギタリスト吾妻光良氏に見いだされ、1stアルバム「リサイクル」でデビュー。JAZZ、JIVE、JUMP BLUES、FOLK、COUNTRY、LATIN、HAWAIIANなどオールドタイミーで様々なルーツの香りのするGOOD MUSIC作品をこれまで発表し続けている。バンバンバザールは現在、福島、黒川の2人を中心にメンバー、音楽性、演奏スタイルともに常にフレキシブルであるものの、結成以来一貫して「ライブ!」生の音楽にこだわった活動をし続けている。もちろんまさに日本全国またにかけたツアーもライフワークとなった。

2002年より既成の音楽イベントに飽きたらず、シーンの交流をはかるため、キャンプ場を借り切っての屋外イベント「勝手にウッドストック」を毎年開催、ステージ設営、フード、運営までしっかりこだわり数多くのアーティスト、ファンと一体化した盛り上がりを見せている。自らのレーベル「HOME WORK」を立ち上げ、アーティストのCDプロデュース、活動のサポート、2006年よりFM NACK5で「GOO GOO RADIO」のパーソナリティも務め、まさにGOOD MUSICの種をまき続けている。

松井朝敬
1971年兵庫県生まれ。Sweet Strings代表。ギターを有山じゅんじに師事。関西を中心にライヴ活動を通じて、1900~1940年代のスウィング、ジャズ、ハワイアン、ラグタイムなどを手掛ける日本でも珍しい演奏家。ハワイアンスティールギター、ギター、ウクレレ、マンドリンなどさまざまな弦楽器を演奏する。近年はバンドSweet Hollywaiiansを率い、日本国内に留まらずアメリカにも活動の場を求め、戦前の奏法を今に伝える演奏家と共演し、高い評価を得ている。

コージー大内
大分県日田といえば林業の町、文化的には佐賀や福岡に近い。ろくに働かず、ギャンブル好きな親父をもった大内家族は夫婦で日田、大鶴村の公民館で住込の管理人をして生活した。その頃の様子が名曲「大鶴村のサイレン」に微笑ましく描かれている。
10代の頃、ボブ・ディランに傾倒していたコージー大内は、21歳の頃にテキサスのブルースマン、ライトニン・ホプキンスのブルースに出会い、ライトニンをひたすらコピーする毎日を送る。

21才の頃、故郷の友人を頼って上京、阿佐ヶ谷の4畳半での共同生活が始まった。当時働いていたとんかつ屋で阿佐ヶ谷のブルースバー、ギャングスターのジョニー(現、じょに)に出会い、ブルースの弾き語りを本格的に始める。ジョニーにライトニン大内と命名され、ライトニン・ホプキンスのカバーで中央沿線のブルースバーで腕を磨いた。
30代になったころひょんなことから自分の国の方言、日田弁でブルースを歌う事を思いたち、徐々に人前で歌うようになる。日田弁のノリと、ギャンブル狂親父との生活感溢れる詩が評判を呼び、2008年「角打(かくち)ブルース」で鮮烈のデビューを果たす。方言をブルースにのせて歌う、新しいスタイル「弁ブルース」の誕生である。
CD「角打ブルース」は普段本場のブルースしか評価しない日本のブルースファンの心も掴み、多いに評判となる。音楽雑誌のみならず九州各地の新聞にも取り上げられ、朝日新聞の「ひと」欄でも紹介された。

その後、全国各地から、ライブ依頼が来るようになり、現在、北は青森、南は熊本まで、年間50本以上のライブをこなす。
「角打ブルース」から8年、コージー大内の東京生活の始まりでもあり、自身の音楽人生の始まりでもある阿佐ヶ谷。そしてライトニン大内が産声をあげたブルースバー「ギャングスター」に思いを馳せ、同じ地で初のライブ盤が吾妻光良氏により収録された。トークにも磨きがかかったコージーの音世界は「一番街」LIVE AT チェッカーボードとしてをマルヨシレコードから2016.7.17にリリースされることとなった。

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